意識がなくても聞こえていた看護師さんの声に救われた

突然発症した脳幹出血で死を覚悟

N1_32011年1月、私は婚約中の彼女と結婚式の仮予約をしました。そしてその日の夜、悲劇が訪れたのです。

いつも通りに軽くワインを飲んで、眠りに就こうとしたときのこと、突然嘔気が襲いました。風邪かな?と思っていると、急に左半身に「ガーン!!!」と物凄い衝撃を受け、左腕、左脚が一瞬にして硬直。「これはおかしい!」と思ってすぐに救急車を呼びました。

今も鮮明に覚えているのは、搬送中、結婚を約束した彼女に対して「ゴメン、俺、死ぬわ…。本当にゴメン」と思ったこと。そして付き添ってくれた母に「今までありがとう……」と伝えたのを最後に意識がなくなりました。診断名はAVM(脳動静脈奇形破裂:脳幹出血)。医師から家族が受けた説明は、助かる見込みは1パーセント。もし奇跡的に助かっても重大な後遺症を残すだろうということでした。

意識が薄れていても感じる『思いやり』や『優しさ』

K2_2私は挿管されて反応できない状態が続き、意識は朦朧として夢みたいなものをずっと見ていました。そのような状態でも、看護師さんがかけてくれる言葉ははっきりと私の耳に届いていました。そして看護師さんの言葉に反応はできなくても「このまま死んではいけない」というように、気持ちを動かされていました。

また、今も覚えているのは、母親が泣きそうな声で僕の頭を撫でながら「早くよくな〜れ、早く良くな〜れ」と言ってくれたときや、婚約者(現在の妻)が病気回復祈願のお守りを腕に着けてくれたときのこと。そのとき「これ以上悲しみを与えては駄目だ。俺が頑張らないといけない!!」と、メラメラと心に火が付いたことは、心に焼き付いています。意識が薄れていても、家族や看護師さんから受ける『思いやり』や『優しさ』は、強く感じることができました。

そして徐々に意識は回復し、気管切開での人工呼吸になりました。うっすらとした意識の中で「寂しい」「誰かに構ってもらいたい」「人間として認めて欲しい」と思う毎日。人工呼吸器のアラームが鳴ると看護師さんが来てくれるのですが、それだけでも看護師さんに触れるだけで心が落ち着いたものでした。

看護師さんがいたから辛い闘病生活を乗り切ることができた

151008-2闘病生活は、はっきりいって「地獄」でしたが、1ミリも「死んだ方がマシだ!」と思ったことはありませんでした。それは、かすれる意識の中でも、看病してもらっている行為は覚えているからです。気管切開中は1時間おきに痰が溜まって酸素濃度が低くなり、警報が鳴るのですが、嫌な顔をせず対応してもらったり、排泄の世話をしてもらったり、何もかも申し訳ない気持ちになるのです。でも、だから「自分もいち早く元気になって喜んでもらおう!」と次第に気力が沸いてきました。それはきっと、私に思いやりを持って看護していただいたからなのだと思います。

また、患者として嬉しかったのは、名前を呼んでもらうことでした。「上西くん、おはよう」

「上西くん、今日は上西君の病室を担当するからよろしくね」そんな風に名前を呼んでもらえると、自分のことを知ってくれている、人として認められているという気持ちになり、回復への気力がみなぎりました。それほどに名前を呼ぶということには、大きなパワーを秘めていると実感しました。

そんな闘病生活を乗り越え、8カ月後には発症前から勤務していた職場で働くまでに回復することができました。その後、様々なトラブルに見舞われましたが、今、私は元気に生きています。付き添ってくれた彼女と結婚し、子どもも授かり、穏やかな日々を暮らしています。

看護師さんに伝えたいのは、「看護師さんがいたからこそ、辛い闘病生活を乗り切ることができた」という感謝の気持ち。看護師さんが傍に来てかけてくれる言葉は患者をやる気にさせる回復への力だということです。私は支えてくれた多くの看護師さんに感謝し、これからは自分の体験を役立て、社会に貢献できる活動をしたいと考えています。

 

上西さんは、脳幹出血の2年後に検査トラブルで脳梗塞になり、失読を発症しましたが、それも克服して、社会復帰されています。

闘病記録のブログがありますのでアクセスしてみてください>>>

 

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