「いたし方なく」はじめた訪問看護でしたが
約10年、総合病院で働いて、結婚後、3人の子を出産しました。その当時は、正職員で復帰するならば、病棟は夜勤が必須、外来でも当直勤務は避けられない状況でした。私はやむを得ず、夜勤のない訪問看護の道を選んだのが始まりです。
私自身、「訪問看護って、介護に近いものかな。まあ、すぐ働けるようになるだろう」と踏んでいましたが、働きはじめると、訪問先で一人で判断することが不安、このケアが間違っていないのかどうかも不安。不安だらけの毎日で、「私って、何もできないかも」と落ち込むことばかりでした。その当時の管理者に「そのへこむ気持ちがあるほうがいいんだよ」と言われたことを思い出します。
2か月経つと、“利用者家族とつらいことも楽しいことも話したり、こんなふうになりたいという希望をかなえるために多職種で一致団結したりと、自分が提供する看護のおもしろさを実感する毎日”に変化してきました。気が付くと20年訪問看護を続けていました。
スタッフから管理者へ。管理者でないと味わえないつらさとおもしろさを知ると
訪問看護をすることにおもしろみを感じていましたので、訪問看護管理者になることを私は望んでいませんでした。管理者になった当初は、利用者が200名、スタッフが20名のステーションでした。
はじめは、何をすることが管理なのかもわからず、ただがむしゃらに見渡し、起きたことに対応する毎日でした。自分のことよりもスタッフのこと、スタッフがしている看護が利用者家族に納得してもらっているかを常に考えていました。さらにステーションの意思決定を私自身が行い、その決定をスタッフに浸透させる。また、その看護に責任を持つ。スタッフはたくさんいるのに、孤独感を感じました。スタッフ個々の働く環境が変化したり、新規利用者が毎月10件以上入ってきたりと多忙で「私も訪問に行きたい」といつも思っていました。
管理がおもしろいかもと感じたのは、3年かけて傾聴スキルを学んでからです。利用者に対してだけでなく、かかわる人に傾聴することの大切さを学び、真っ白い気持ちで話しを聴くようにしてから、急に自分自身が楽になりびっくりしました。そこから、相手を理解する認めること、チームをつくりあげることに楽しさを感じるようになりました。
まず自分自身が心身ともに健康であること
管理者として心がけていることは、かかわるひとへの傾聴です。スタッフは現場でいろんなことを体験して帰ってきます。つらいこともあるでしょうし、利用者から厳しいことを言われることもあるでしょう。そのしんどさを抱えすぎて一人にならないように、コミュニケーションの方法やタイミングを図っています。時にはスタッフのチーム力を借りたりもします。スタッフと管理者とが程よくつながるだけでなく、ステーション全体でも程よくつながれるように配慮していると、スタッフはなんとなく居心地よさそうです。
私自身がかかわる人の傾聴ができるために、心身ともに健康でいようと思っています。気がかりなことがあり過ぎたり、疲労困憊だと傾聴ができないことを経験上学んでいるからです。ですので、不健康になってきたら、統括管理者やスタッフに弱音を吐いて、手伝ってもらうこともあるのです。
ステーションの中では、安心して弱音や苦手な気持ちを吐き出せて、誰かがそれを受け止める、大丈夫と認めてくれる。苦手だったり、うまくないこと部分をお互い補完したり、できるように支援します。結果、ステーション全体のスキルアップをも図れている気がします。


