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スタッフが毎日笑顔でいられるにはどうしたらいいのかを考える日々

前 久栄さん(ななーる訪問看護ステーション 大阪エリア管理者)

看護学校の先生との出会いで在宅看護に興味

私が看護専門学校に入学したのは1983年。病院から退院する患者さんへの訪問看護に診療報酬が初めて認められた年です。まだ「在宅看護」なんて言葉は一般的ではありませんでした。でもお世話になった看護学校の先生が先見の明のある方で「みなさんがベテラン看護師になるころは在宅看護が制度化されて、看護師が自宅での看取りをする時代になっていますよ」とその重要性を教えてくださっていました。独居の脳梗塞患者の退院後の介護支援や老衰を迎える老老介護支援のボランティアもその先生の指導の下で手伝ったりしました。その先生ご自身がお母さまの介護をされていたのです。在宅看護への興味はそのころから芽生えていました。

やりたいのは管理職よりも現場での仕事

卒業後は看護学校が附属していた総合病院に就職し循環器内科に配属されました。結婚・出産を経て1994年に復職した翌年に外来主任になりました。1991年の老人保健法の改正で老人訪問看護制度が発足していたので、外来の私のところにも「訪問看護指示書」が来ました。訪問看護ステーションで働いている先輩方の姿を見るとワクワクしました。

「看護師がフィジカルアセスメントをして、看護の力で患者さんの力を引き出している!かっこいい。私のやりたい看護はこれだ!」。在宅看護への関心がますます強まりました。でも病院勤務に復帰してまだ1年、当時は2人の子育ての真っ最中、たとえ在宅看護に携われたとしても深夜のオンコールなどにとても対応できません。まだ決心はつきませんでした。

その後、かつての看護学校の恩師から「教員にならないか」とお誘いをいただきそちらの道に進みました。その恩師の退職後は「在宅看護論」の授業を引き継ぎました。教員をしながら、自分自身の勉強のために日本訪問看護振興財団の管理者入門講座を受けました。知識をつけて教員をやりながらも「現場に戻りたい。訪問看護をやりたい」という気持ちがまた強くなってきました。あとは実践あるのみです。そこで私は地域医療、在宅医療に力を注いでいる病院に転職をし、そこで緩和ケア、看取りの看護経験を積みました。

また日本看護協会の認定看護管理者の資格も在職中に取得しました。そのまま管理職に進む道もあったのかもしれませんが、私がやりたいのは管理職ではなく現場の訪問看護の仕事だという気持ちは変わりませんでした。

55歳のとき「訪問看護の管理者は現場の実践指導もできないといけない。体力のあるうちは訪問看護の管理者をしたい」と思い、満を持して訪問看護の世界に飛び込みました。最初は開設1年目の訪問看護ステーションの管理者でした。未整理のチームづくり、仕組みづくり、メンバー育成をまとめていくことがミッション。なんとか乗り越えることができました。

「その人の強みを活かす」ためには誠実に向かい合うこと

ななーる訪問看護ステーションは今年で2年目です。現在大阪エリアには本部を含めて11のステーションがあり、私を含む3人のマネジャー(管理者)で管理業務分担をしています。スタッフは常勤11名、パート職23名、事務職6名です。私の分担はスタッフの人事・労務管理です。

私は現場で「いい看護」をしたいとずっと思ってきましたが、いい仕事をするためには「いいチーム」「いい環境」があってこそ。そこで「いいスタッフ」が育てば利用者さんにいい看護が提供できて喜んでもらえる。管理者の喜びはそこにありますね。

だから毎日「どうすればみんなが笑顔でいられるだろう」って考えています。当ステーションは「一人ひとりの強みを活かす」のが運営方針。そのためには関心をもって誠実に向かい合うことが大切です。人によってはたくさん声を掛けてほしい人もいればそうでない人もいます。それぞれの特性をわかったうえで本人だけでなく周囲の人からもその人を強みを聞き出して強みが活かせるようにしていくのが、管理者のやりがいでもあります。今はメンバー全員でそれぞれの強みを理解して協力していけるように取り組んでいます。